学び
約6年を振り返り…
kaneda
皆さん、こんにちは。
3月下旬にも関わらず雪が降ったりしていましたが、ようやく春が訪れようとしているこの季節、様々な出会いや別れがある時期でもあります。
個人的な事になりますが、2009年からアルバイトとしてずっとEyes, JAPANにいた私も、フェローシップの関係でこの3月に会社を辞める事になりました。
そんな訳で、今回はこの約6年間を振り返ってみたいと思います。
私は2009年に会津大学に入学し、その年の夏頃に田山さんに紹介されてEyes, JAPANにきました。実は、その直前までは、会津にあったサティで働いていたのですが、閉店でアルバイトを辞める事になり、それで新しいバイト先を探していたのです。
その頃は、私はもちろん一番下っ端であり、知り合いの1年生がいて、他は年上とバイトに入ればよくある光景だったかと思います。今と比較すれば、その頃からいる人は数人であり、月日の流れと人の出会いや別れを多く経験してきました。
さて、そんな私でしたが、最初から何か仕事ができるわけもなく、始めの1ヶ月くらいは何も仕事をしていない状況だったと記憶しています。ですが、たまたまそこでJavaを使った当時のドコモのガラケー用アプリ、iアプリの開発の仕事があり、Javaなら書けるはずだという事で初めての仕事をもらう事になったのです。そこが、恐らくEyes, JAPANで今の私に至る始めのターニングポイントだったかと思います。
その後、年が明けて3月頃になると、会社でiOSアプリ開発を始めたいという話になり、まだiアプリに加えてauなどのアプリであるオープンアプリしか開発した事がなかったのですが、私が担当できる事となり、会社でのiOSアプリ開発が始まりました。これが2つ目のターニングポイントです。今思えば、高校からプログラミングを始めたとはいえ、周りに直接的なiOS開発について聞ける人がいない中、よくプログラミング歴4年目の自分が初めてのアプリ開発を担当できたなと思います(笑)
分からない事だらけであり、多くのサンプルを調べて作ってみたり、時には1週間くらいOAuthライブラリのバグに苦しめられたりと、安泰であったとは言いがたい開発をしてきたと思います。ですが、iOSアプリ開発を始めて1年経つ頃にはある程度の事が出来るようになり、仕事としてもアプリ開発を出来るようになっていました。
そこからは、仕事で様々なアプリ開発を行ったり、医療ハッカソンに出場して優勝、しまいには医療ハッカソンの世界大会で優勝したりと、様々な経験をする事ができました。世界大会に初めて参加した時に優勝した訳ではなく、2度目の出場で優勝する事が出来たのですが、1度目の時にアメリカのサンフランシスコに行く事ができました。その時が初めてアメリカに行った時であったのですが、初めてなのに色々な体験をして「少しの間アメリカには行きたくないな…」と思ったくらいです(笑) まぁ、学会でその後アメリカに行く事になったのですが、それはまた別のお話ですね。
さて、こんな風に書いていると、順風満帆にEyes, JAPANで仕事をこなしてきたように思われそうですが、そんな事はありません。1年の時に山寺さんに怒られた事もありましたし、会社の勉強会でぼろぼろに叩かれて心がくじかれた事も何度もありました。ですが、そんな事は生きていれば必ず1度は体験する事であり、それをどう先に生かすかはその人次第だと思います。
私は基本的に負けず嫌いな性格なので、それで立ち直らないということはなかったですし、そこから得られる物は吸収していきました。人生何事も経験ですね。
そんなこんなで現在に至った訳ですが、Eyes, JAPANに入っていなければ、少なからず今の自分はなかったと思います。もしかしたら、今頃会津にいなかったかもしれません。人は、何かに影響を受けて人生を進んできてるはずです。
最近の社内は、学生スタッフはみんな年下であり、4~5歳差もある学生が多くて同じ学生アルバイトスタッフとしては場違いな気もしますが、おそらくこれから彼らは様々な経験をしていくことでしょう。
時には嬉しい事があったり、時には怒られてしょげることもあるかと思います。ですが、そんな様々な経験を通して学生生活を充実してもらいたいし、人としても成長していって欲しいと思います。
そして、たまには飲みにでも行きましょう(笑)
4月からは、私は自分の学業に専念していく事になりますが、会津を離れるわけではありません。イベント等には顔を出したりしていくつもりではいますので、そんな時に後輩たちを見ていきたいなと思います。
それでは、Eyes, JAPANの更なる発展を祈りつつ、とじたいと思います。
担当: 金田(早く会津でも桜が咲いて暖かくならないかなぁ…