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エンジニアとしての人生

Tetsu Kan

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

なにわのPodcasterの韓です。

今回は自分のエンジニアとしての人生を書きます。最後まで読んでいただければ嬉しいです!

プログラミングとの出会い

ちゃんとコーディングを書き始めたのは2016年6月下旬からでした。

ちゃんとっていう言葉を上で使っている理由はそれまでは学校でC言語とかを授業で受けていたからです。
しかし、その時にプログラミングって苦手であるという意識が芽生えてしまって、学部のコース選択ではプログラミングの授業や研究がないコースを選択したので、真面目にプログラミングについては取り組んだことはなかったのです。

そんなプログラミング領域からなるべく距離を置いていた私でしたが、ある時を境にプログラミングの必要になり結局去年の6月から本気で向き合いました。(ここの経緯については私の社員インタビューの回で詳しく取り上げられるので割愛します。)

自分の作りたいサービスは決まっていたので、まずはデザインのコーディングをやろうと某オンライン学習サイトでHTML, CSSから書き始めました。
作りたいサービスがコードを書くだけで見た目に反映されて、だんだんと完成していくので全然苦にならなかったです。
それに加えてその時からbootstrapとか色々なCSSのライブラリが充実しているのもあったおかげもあり、全くの初心者であった自分でもそれっぽいサイトが作れたので、切実に今の時代に生まれて良かったなと思いました。

そして今メインで仕事で使っているRubyとの出会いはTECH CAMPというプログラミング教室です。TECH CAMPでは一ヶ月間Rubyとrailsの基礎からオリジナルアプリケーションを作るまでサポートしてくれます。今こうして実際に仕事として使えるくらいになったのはTECH CAMPのおかげなので、一生足を向けて寝られないです。

話を戻しますと、入会する前に先述の自分でHTMLとCSSで作った拙いデザインのサイトを持ち込み、そのプロダクトをリリースすることを目標にしていましたから、必死にコーディングしていました。
わからなければ、わかるまでメンターさんにしつこく聞いていたので、メンターさんからすればかなり迷惑だったと思います…。

それだけでなくDB構造の設計やリレーションの定義などコーディング外のことまで教わり、今もその知識が活きているので改めて感謝です。

当初は距離を置いていたプログラミングであったので書いていて辛いこともありました。しかし、今思い返すといい思い出でありますし、何よりも人間必死になったら何でも身につけることができる、そしてプログラミングにおいてはモノ作りの手段の一つであるので、それを学ぶ前に作りたいものを明確化することがまず大事だなと学びました。

そして一通りサービスを作りきった私がEyes, JAPANに入社したのです。(この間の経緯も社員インタビューの回で詳しく取り上げられるので割愛します。)

理想のエンジニア像

そして本気でプログラミングと向き合って仕事で使い、一年半弱経ちプログラミングは自分にとって今では必要不可欠の存在となりました。
学生の時の自分が今の自分の姿を見たら驚愕だと思います。あんなに避けていたヤツ(プログラミング)と仕事してますからね。

現在会社の肩書きではWEBエンジニアとして名乗っていますが、自分はエンジニアとしては半人前だと思っていますし、理想のエンジニア像にはまだまだ程遠いです。というか理想のエンジニアになることは自分はないと思っています。

ここで言う理想のエンジニアって各々あると思いますが、自分の中では一言で言うと「好奇心に溢れて技術向上を常に邁進しているエンジニア」なんです。(一言にしては長いですけど。)

前章で読んで見てわかると思いますが、プログラミングが必要になって身につけた私ですし、はっきり言うと技術を学ぶのに貪欲な性格でもないです。むしろそれは苦手です。

だからこれは何度も社内で言っているのですが、社員アルバイトを含めて社内にいるエンジニアをすごく尊敬しているんです。
特にアルバイトのスタッフは若いのもあってか情報の収集やすぐに新しいことを吸収し実践します。また、LT会を頻繁に開いて技術の共有も積極的にします。

こんな環境で育っていない私なので、入社した頃なんてカルチャーショックを受けました。自分はマインドが一番若いように常に努めていますが、この技術の追求する精神は彼らには負けます。だから、学ぶことも多いですけど。

この業界は特に変動が激しいので、自分のようなプログラミングしているけどそこにあんまりハングリー精神がないエンジニアには厳しい世界です。
しかし、生活の大部分を占めている仕事なので、できる限り楽しく苦しくなく仕事をやっていきたいです。

では、そんな私がどう会社で働いているかを次の章で見てみましょう。

会社で活躍したい自分

自分は一生エンジニアとして働く気なんて無いです。というかそれが難しいと思っています。
こんな移り変わりが激しい業界なんで、流行に敏感でエネルギッシュな若い世代の方が有利と考えています。だから年を取っても一生やりたいとは自分は思わないです。

しかし、それを避けていては自分は成長しないです。

そんな半人前エンジニアの私が会社で活躍するにはプログラミングの勉強をするか、他の分野で頑張るかの二つの方法があると考えました。

仕事という環境を利用する

生粋のエンジニア体質ではない私はプライベートの時間を取ってまで勉強するモチベーションは無いです。しかし、仕事となれば別です。

仕事には給与という報酬がありますし、何よりも責任が付いてきます。趣味と違って、やりたいからやる、やりたくないからやらない、という世界ではありません。

こう言うとマイナスに捉えられるかもしれませんが、考え方を変えて「やらざるを得ない」と腹を括ることができる環境でもあります。

だから私は仕事という環境を使って学びながら仕事をする方法を取っています。
自分は新しい技術をガンガン好きに取り入れるよりも、比較してこれが必要だからとかこっちのライブラリを使った方がUXがいい、パフォーマンスがいいという明確な理由づけがあって初めて新しい技術を取りいれる方があっています。
仕事では運用やメンテナンス、属人化を防ぐという要素を踏まえます。だから前者のようにとにかく新しい技術を取り入れず、設計の段階でちゃんと話し合い新しい技術を取り入れるので、そこのプロジェクトに身を置けば放棄できないので、自然に知識がつきます。

しかし、そのためには新しい技術や仕事を恐れずに勢い半分で飛び込むので、また別のメンタルが必要ですが…。仕事が始まれば、やらざるを得ないのですし責任が伴うので真剣に学ぼうとするので飛び込んだもの勝ちですよ、これは。

この方法により仕事をしながらエンジニアの知識もつけていくことをしています。

会社全体を見て、いい方向に持っていく

エンジニアの指標で自分と他の生粋のエンジニアを比べられた時に自分が勝つのは難しいです。そもそもそこで勝つとも思っていないです。

じゃあ、どうするか?

エンジニアじゃない領域も自分から進んでやっていくのです。

例えば、設計段階に自分で提案していくことや人事に関与していくとか色んな領域に挑戦するといったことです。言い換えると経営者目線でモノを考えてみるってことでしょうか。
しかし、ただヤケクソに色々と手を出すのではなくて、会社全体を考えた時にこれはやった方がいいのにやっていないことややりたがらないことをやるのが大事だと思っています。

私の場合、最近だとプロジェクトの振り返りを率先してやったりとか社員インタビューの企画、ブログと勉強会の担当振り分けとかです。正直これらの作業は誰でもできます。しかし、採用もプロジェクトの反省会も一回きりのイベントで解決するような事柄ではないですし、このような細かいことをしっかりと日々誰かが率先してやっていくことでそれらが達成できていくのだと思っています。最終的にはこれらの活動が当たり前の習慣となって会社内のメンバーが無意識にできている状態にしたいです。

必ずしも技術が優れていれば会社として成長するという単純な世界でもないからこそ色んな視点を持って会社の前進に貢献することは大事ですし、みんながみんなできることではないです。まずやろうとする人が少ないと思います。

エンジニアリングでも貢献しつつ、他の分野でも貢献する、掛け算的な要素を入れると生粋のエンジニアではない方も会社で活躍できると思います。(そうであってほしいです!)

最後に

自分の好きなことを早くから見つけてその為に必死になれるなんてごく少数だと思いますし、そんな人は本当に幸せでしょう。自分もそんな人たちが羨ましいです。
しかし、自分のようにまだこれに命を捧げれるくらい熱中できるものがない人が好きなことを見つけるには色々と学ばないとそれは見えてこないでしょう。
また今目の前にある仕事や趣味に必死になってみることもできないと「いざこの分野好きかな?」って思った時に必死になるアクションを踏むことも難しいでしょう。
だから私は仕事という手段で色々学びながら自分の好きなことを探求しています。

今回は長いブログでしたが、読んでいただいた方に何か為になったことがあれば、自分も書いた甲斐があります。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!

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