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学生・新人の皆さんが飛躍するために心掛けてほしいこと

Junichi Fujinuma

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。


藤沼です。ここ最近ロードバイクだのコーヒーだの趣味関連のエントリーが続いたので、今回は少し真面目な内容を。少しEJらしくない堅い内容ですが、たまにはこういうのも許してください。

もちろんテクノロジー業界を振り返ったり、たまにGoogle Apps Script関連の記事も書いていますので、ぜひそちらもどうぞ。

さて、弊社Eyes, JAPANは会津若松に拠点を構えることから、会津大学の学生さんを多く抱えております。また、最近では宮城や秋田の大学の学生さんともリモートで社内外のプロジェクトを共同で行う機会もでてまいりました。

学生さんたちとの交流はフルタイムワーカーにとっても刺激的なものであり、新しい発想・感覚・感性には常に刺激を受けています。弊社は特に国際色も豊か(約4割が外国人スタッフ)であり、文系学部に通う学生も若干名いるため、多様性に富んださまざまな「刺激」が渦巻いている環境だと私自身も感じています。

一方で学生の方と話をしていると「もっとここ頑張れるはずなのにな」「これやらないの勿体ないなぁ」と思うことも少なくありません。

この記事では学生さんや、新社会人になったばかりの方がさらに大きく成長するためにちょっとしたアドバイスをしたためたつもりです。

もっとも、私も「最近の若者は」というような括った表現は好きではないですし、私より年上の方でもできない人はたくさん見てきました。従って、この記事に書かれている内容は学生さんや社会人になったばかりの方に限った話ではありません。

ただ、そうした課題を抱えた人の割合が幾分高いのも経験則として事実かと思いますので、記事のタイトルは大目に見て頂ければと思います。

学校と会社の違い

さて、まず意識すべき点として挙げられるのは「学校と会社の違い」です。

話は単純で「学校は生徒がお金を払い、先生が教える」のに対し「会社は従業員(バイト含む)が働いて、経営者がお金を払う」わけです。言うまでもない話ではありますが、お金の方向が逆ということです。この表現には賛否両論あるかと思いますが「学生は学校にとってのお客様」という表現をする方もいらっしゃいます。

一方で企業にとってのお客様は文字通り、お金を支払って頂いている顧客の皆様であり、従業員ではありません。昨今色んな考えをお持ちの方がいらっしゃるので表現には慎重になる必要がありますが、従業員はその経営活動に貢献する事(あるいは貢献できるように自身で努力する事)が一番求められていることであり、その対価として給料が支払われています。

詳細な説明はこの記事では割愛しますが、経営活動の資源を「モノ、ヒト、カネ、情報 etc.」で表すフレームワークがあります。もし初めて耳にする/目にする方は少し調べてみてください。もう古くなりつつあるとの意見を目にすることもありますが、非常に有名な手法であらゆるビジネスや業務プロセスを描く際に非常に有用です。

言わずもがな、学校と会社では「モノ、ヒト、カネ、情報」の流れがまったく異なるわけですね。まずこの点を理解しないと、次から書く内容が頭に入ってこないかと思います。

探求する姿勢と教わる姿勢について

仕事をすすめる上で、経験がないこと/分からないことというものは必ず出てきます。そして、当然ながら指導者は必ずと言っていいほど「分からないことは聞いて」といいます。私が思うには、この言葉の捉え方が人によって大きなギャップがあると考えています。

残念ながらしばしば目にするのは「何が分からないか分からない」あるいは「何をしたらいいか分からない」状態で「わかりません」「なにすればいいですか」と訊いてくるケースです。

指導者が何のキーワードも与えていない場合は指導者側にも問題がありますが、大抵の場合、何らかのキーワード/キーセンテンスは与えている筈です。ここで指導者が言っている「分からないことは聞いて」の意味は「与えたキーワードをもとに自らの頭で考え、調べ、チャレンジしてみなさい。それでも上手く行かない場合は、何ができて何ができていないのか具体化した上で質問してください。あまりにも見通しが立たないようであればアラートを上げなさい。」ということです。

「それならそう言ってください」と感じる方も勿論いらっしゃるでしょうが、毎回このセンテンスを言われたら、それはそれでクドいですよね。

なお、細かい説明は他に譲りますが、日本語では同じ「指導する」でも厳密には「ティーチング」と「コーチング」に分解することができます。指導を受ける側の方が意識しすぎるものではありませんが、指導者はこれらの手法を使い分けています。

やや乱暴な纏め方にはなりますが、すべての情報を与えていない場合は、その人の成長(と組織全体の業務効率)を考慮して意図的にそうしています。基本的に指導者が支持している内容は「その人が努力すればどうにか達成できるであろう/あるいは良いところまでは行ける見込みがある」ものを与えています。そうしないと、本人の成長、組織の成長に繋がりませんからね。説明書通りにやればできるような簡単な事をやっていては意味がないのです。

うちの会社ではほとんど耳にしたことがありませんが、たまに「そんなの教わっていません」「知らないのでできません」という言葉を発してしまう方もいます。これはまさに、こうした意識のギャップから生まれてしまう発言なのだろうと思います。

よく使う表現として「言われたことしかできない人(指示待ち人間)がやっているのは仕事ではなくただの作業だ」「自らの頭を使って考えて行動するのが仕事だ」といった言葉がありますが、このとおりだと思います。蛇足ですが、少し前までは「ただの作業者」を「ただのロボット」なんて言うこともありましたが、人工知能(AI)の技術が進んだ現代において、逆(?)にロボットという表現は合わなくなってきている気もします。

単なる「作業者」はもはやロボット以下の存在になる、そんな時代になりつつあります。

経験者も常に勉強と探求を重ねている

さて、随分と指導者/経験者が偉そうとも取れることを書いてしまいましたがそんな事はありません。

というのも、上には上がいくらでもいますし、人生というものは常に勉強・探求を重ねて行かなければならないからです。

分からないあれば限られた稼働の中で精一杯調べ、考え、試行錯誤し、ときに失敗し、振り返り、改善し、達成する・・・。これはわざわざ主張するほどのことではなく、やって当たり前のこと。私もいま、久々に統計学の本を引っ張り出して勉強を始めたところです。

さらなる成長を目指して、一緒に努力を続けましょう。

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