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私は普段はスクータで通勤していますが、雪の季節は徒歩に切り替えます。
その結果、移動に費やす (=歩く) 時間が増え、その間にいろいろなコトを考えるようになります。
例えば、「雪で足が滑って前に進みづらい」ということから始まって、
- 足の裏と地面の間の摩擦が減っている。
- そのため、足に加えた力を加えても、俺の身体と地面 (地球) の相対的な位置関係が変変わっていない。
- では、雪がなく普通に歩いているとき、動いてるのは俺と地球のどちらか?
- 相対性原理によれば、どちらが動いてるかは決められないんじゃなかったっけ?
- でも、俺が動いている場合と、地球が動いてる場合とで運動エネルギーを計算すると辻褄が合わない。
- ということは、今の理屈には何か間違いがある。どこだ?
- そうか、速度と加速度を取り違えているんだ。
- ( 中略 )
- 双子のパラドクスも同じ勘違いに基づくものだ。
と、ここまで考え至った頃には会社の玄関前。(この間およそ15分)
仕事が始まったら、こんな無駄な考え事に時間を使ってはいられません。
また、誰かといるときは会話もしないで黙って考え込んでいたら、無愛想なやつだと思われるでしょう。
自分のアタマなのに、自分の好きなように使える時間というのは意外に限られているわけです。
人によって、興味があること、考えていることは、さまざまだし、また、時間的なずれがある。
同時に同じ対象について考えないと議論というものは成り立たない。
この歩調を合わせる行為が、どうしようもなく不自由なのだ。
そう考えてみると、会社への行き帰り、一人で黙々と歩くこの時間は、なかなかに貴重で得がたいもの。
音楽を聴いたり、メールをやりとりする人も多いようですが、たまには自分自身との会話 = 考え事 を楽しむのも一興でではないでしょうか。
担当: 成田 (精神的ひきこもり?)