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Things Human

narita

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

朝夕の寒暖の差が激しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

突然ではありますが、私・成田は今月末を以って Eyes, JAPAN を退職する運びとなりました。
そんなわけで、日記を担当するのもおそらく今日が最後となります。

私が入社したのは2006年なので、Eyes, JAPAN での勤務はかれこれ五年間。
その間、様々なモノゴトに接し、これらより多くを学びましたが、特に深く刻まれたのは、

「人を見ること」の大切さ

です。
とは言っても、「相手の人間性を見抜く眼力」といった大袈裟な話ではありません。
すべての、とまでは言えないまでも、私自身を含めて多くの人間が共通して備えている
基本的な機能・性質について、正しく理解しようとする姿勢のことです。

人間工学の面から

プログラミングあるいはソフトウェア開発というと、ひたすらにコンピュータと向き合ってなされる業務、というイメージを持っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
しかしながら、ソフトウェアに限りませんが、システムの設計・開発というものは、それを利用する「人」(ユーザ) の在り方を想定することなしには成り立たちません。
システムに向き合った人の目の動き, 思考の流れといったものを考慮し、どうすればより使い勝手が良くなるか、あるいは、どこで間違いを犯しやすいか、といった要素の列挙・検討することが、「設計」という行為の本質である、といっても間違いではないほどです。

設計は、システムを使う (であろう)「人間」を想定・観察することから始まります。
ユーザの振る舞いや心理的な挙動を分析し、その性質を詳細に把握することが、システムの有用性・利便性を高めるためには欠かせないからです。

「人間をコンピュータに合わせるのではなく、コンピュータを人間に合わせよ」というのはよく言われることですが、これを原理主義的に厳守しようとするのは、システム設計にとってあまり良いことでありません。
人間は、一面においてはコンピュータが到底及ばぬほどの柔軟性を備えています。
この柔軟性をシステムの一部として取り入れることができるのであれば、それは積極的に行うべきです。
となれば、次に考えるべきことは、どうすればより簡単かつ自然に、ユーザがその柔軟性を発揮できるようにするか。
それを考えていく上でも、人間工学的なモノの捉え方・考え方は強力なツールになります。

コミュニケーションの面から

一方で、この「人間」についての理解は、円滑なコミュニケーションを支えるものとしても、重要な役割を果たします。
仲間内での「おしゃべり」だけがコミュニケーションではありません。
むしろ、考え方の異なる相手と如何にして意見の一致を図るか、そしてそのためにはどのようにすればよいかを考えることこそが、コミュニケーションの本質であるはずです。

「コミュニケーション」について考えようとすると、どうしても外に表れるもの、即ち、言葉, 文字, 表情, 仕草などに注意を奪われがちですが、本当に注目すべきは、そうしたものを受け取った人間 (相手, 自分) の中でどのような変化が起きたかです。
人は言葉によってどのようなイメージを喚起されるか。
人はどんなときに誤りを犯しやすいか。
あるいは、心理状態の違いはその人の判断にどのように影響するか。
そうした要因を考慮し、相手と自分の内面を想像することで初めて、私たちはコミュニケーションを正しく成立させ、お互いを理解し合う可能性をそこに見いだすことができるのではないでしょうか。

この姿勢を欠いたままでは、千言万語を費やそうとも、相手と分かり合うことは叶わないだろう、と私は考えています。

最後に

いずれにせよ自分自身と、それに関わり合う最終的なファクタが「人」である以上、あらゆる行為の成否は、どれだけ「人」というものを理解しているかに懸かってきます。

Eyes, JAPAN での五年間を通して、山寺社長をはじめ社内のスタッフ (アルバイトの学生を含む) や、お客様との関わりを通じ、私は何度となくこのシンプルな「事実」を実感してきました。
その中には手痛い失敗も多々ありましたが、この経験は今後の人生においても確実に必要となるものだと思います。

最後になりましたが、これまで私を支えてくれたすべての人に感謝致します。
本当にありがとうございました。

成田

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