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会津の隠れた名品紹介:会津の鍛冶「重延」

Tomoko Saito

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

「重延」鍛えた包丁は、は第11代帝国ホテル料理長 「ムッシュ村上」こと村上信夫氏が
「日本一の切れ味」と絶賛されたことで有名です。

「重延」は本名を長嶺喜好といい、明治28年に会津に生まれました。
14歳のときに会津刃物道具鍛冶の「重房」一門に入門します。

さて、豊臣秀吉が天下を統一した安土桃山時代。
東北地方の守りの拠点として京都や近江などから多くの刃物道具鍛冶職人が会津に呼ばれました。

それ以来、雪深い会津の地に刃物道具鍛冶の文化が大きく花開き、
会津刃物道具鍛冶の歴史の中で、江戸時代後期に並ぶものなしと言われた名工初代「重房」も出現しました。
この「重房」の系統が江戸後期から明治初期にかけ大工道具を鍛ち、その名を高めてゆき、
会津は日本の東における大工道具鍛冶の一大拠点になり、やがて江戸にその文化が伝播していきました。

しかし明治時代の中頃以降、会津刃物道具鍛冶は曾ての繁栄を失い、衰退の道を辿ります。
大きな一因は、多くの刃物道具鍛冶が洋鋼を使って道具を鍛ち始めたのに対して、
玉鋼に固執し、時代の流れに乗り遅れてしまったからでした。
※明治10年代に輸入され始めた洋鋼を、誰よりも早く東京で使用して鉋を鍛った名工「重勝」も、会津刃物道具鍛冶の出身でした。

昭和50年代終わりには、会津刃物道具鍛冶は、わずかな数の鋸鍛冶を残すのみになり、
会津大工道具鍛冶文化が消滅しつつあります。

昭和57年「重延」は亡くなり、
現在は継承者がなく、商標登録もされていません。
新しいものを入手するのはまず不可能となってしまいました
kds23-211 kds22-91

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