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ならぬことはならぬもの、はならぬ

nihei

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

私は会津生まれの会津育ちで、幼い頃から会津藩の武士の心得「什の掟(じゅうのおきて)」を聞かされて育ちました。幼い頃は、ああそういうものなんだなと思って従っていました。しかし、大きくなるにつれ、思考する様になるにつれ徐々にこの掟に疑問を感じる様になりました。

会津藩の武士が守っていた什の掟は下記になります。

  1. 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
  2. 年長者には御辞儀(おじぎ)をしなければなりませぬ
  3. 嘘言(うそ)をいう事はなりませぬ
  4. 卑怯な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ
  5. 弱い者をいぢめてはなりませぬ
  6. 戸外で物を食べてはなりませぬ
  7. 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
  • ならぬことはならぬものです

※町内の区域を「辺」という単位に分け、辺を細分して「什」という藩士の子弟のグループに分けた。什では「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、什の構成員を集めて「什の掟」を訓示した。什の掟は7+1ヶ条からなる。

その中でも特に理不尽さを感じるものが「ならぬことはならぬものです」でした。

掟1,2も相まって、基本的に「ならぬ」とルールを決めるのは、上のもの(年長者)となり、上のものが絶対と言うルールが定められています。いかに正当な理由があっても、上のものの胸三寸で「ならぬことはならぬもの」と言うルールが適用されてしまうため、下のものは納得できないまま従わねばならないケースもあるでしょう。このルールが上のもの、従うものの思考停止につながり、「ルールが絶対になり、ルールの背景にある思想が無視される」ということになりかねません。

個人的にこのルールは、現代人には適さないルールだと考えています。現代であれば、ならぬものについては理由を説明し、納得した上でならぬと言う認識を持つことによって、似たようなケースでも状況に合わせた応用のきいた柔軟な対応が可能になります。

ただ、時代が時代では、統率が大切なため等の理由も考えられるので納得もできます。が、やはり長期的視点・多様性を考えると各自が十分な思考をできるような環境が望ましいと思います。

担当: 二瓶(理由欲しがり屋)

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