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決断できる強さ
自分の行動・環境を変化させるという行為は、少なからず労力を要します。
また、その変化が周囲にも影響を与えるのであれば、それに伴う責任も生じてきます。
こうした面倒を厭うが故に、良くない (あるいは改善の余地がある) 状態を「なんとなく」「だらだらと」維持してしまっていることはないでしょうか。
こうした状況を打開し、より良い自分になるための「決断」をするには、苦労や責任を引き受ける強さが不可欠です。
断定せずにいられない弱さ
「正しい」決断をするためには、周辺事実の調査・検証といったステップが欠かせません。
それらを欠いたまま行われる判断は、「先入観」や「願望」といった要素に左右されやすいため信頼度は低くなります。
そうした状況下では、判断を保留する、あるいは、どの程度の不正確さが含まれているかをきちんと認識した上での「仮の」決断を下す、といった態度が望ましいでしょう。
しかしながら、そのような措置は「断定」することによる安心感を与えてくれません。
そのため、人はしばしばそれに不安を感じ、十分な根拠がないにも関わらず断定的な決断を下してしまいます。
「下された判断に疑問を抱かず、思考を停止することで安心感を求める」弱さを克服することが、誤った判断の回避につながります。
本当に難しいのは
私たちが日頃行っている個々の決断が、上に上げた「強さ」と「弱さ」のどちらに基づいたものかを見分けるのは非常に困難です。
周囲の人はもとより、決断を行う当人ですら、これを正確に見極めるのは容易なことではありません。
決断を下すときに「自分は何かから逃げていないか?」と自問することはある程度有効ではありますが、「弱さ」からくる逃避は無意識下に忍び込んでくるため、これを意志の力だけで完全に退けるのはおそらく不可能です。
私自身の経験からいうと、「迷ったら、より困難な (ように見える) 方を選ぶ」という正答率が高いようですが、この法則に安易に逃げ込んでしまうのもまた「弱さ」でしょうか。
担当: 成田 (迷ったら、カレーだ。)