Eyes, JAPAN Blog > Constructiveness

Constructiveness

kato

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

thinktank

寒い春から転じて急に暖かくなりました今日このごろ、皆様、如何お過ごしでしょうか。

昨今、情報化社会 (死語?) の恩恵か、よくインターネット上のSNS等にて色々な業務システムや行政システムのあり方が語られる事が当たり前な時代となりました。本来、システムの内容であればオープンな場所で語れる内容ではありません。しかし既にサービスインしているシステムの種類ごとの基本の設計思想であったり、そのサービスが世間的にどう役割を果たすべきかの議論は、意見を磨く場であったり、同時に世間に啓蒙を図ることもできる場ともなり、正しく議論が進めばこういう場も貴重です。

世間のそんな議論の中でしばしば目にするのが「建設的」もしくはそれに類する言葉。一般的には否定に入る場合には必ず代案をセットで話し、議論を円滑進める的な理由で使われるのが主かと思います。また副次効果の「やる気を削がない」等で利用されているものと思います。この言葉は企画の初期段階のアイディア出しでよく使われる言葉ですが、こうしたシステムや設計背景の欠陥部分や考えられる問題点に対しての否定的な意見や指摘、再考を提案した場合にも目にします。しかし、この言葉は既に物事を削るフェーズに入っている場合であったり、検証不足の指摘があった場合で使うものではありません。そんな状況下で指摘を行った者に対して、この言葉のみにて回答をした場合

・指摘の問題箇所を無かったことにも出来かねない、論点の無視 (防)
・否定者に対して、すべての解決法の要求も可能な2段の構え (攻)
・以降は話を聞かない姿勢の表明 (逃)

となり、実質、無敵に近い論法を成立することが可能です。この時点で、ある種の人間の「やる気」は間違いなく削がれる事でしょう。(類似語句:イノベーションの阻害)

私見ではありますが、ソフトウェアでもサービスでもどの様な種類であれ、何かしら物を作ることは彫刻や模型等の工芸に近いものと考えています。まずはアイディアだしから楽観的な土台 (構想) を作り、そこから設計や検証や考察を重ねた「削り」で整形をしていくものではないでしょうか。どうにも世間的この「削る作業」を「建設的」という言葉を建前に嫌う風潮があるように思えます。指摘と問題の部分を認めて素直に受け止めるほうがよほどポジティブであり円滑に進むものなのに、と思うのですがなかなか難しいもので。また、受けた指摘のに誤りがあるのであれば、説明をして、否定の否定をするのも良いでしょう。

とりあえず、使い時を間違えていませんか?「建設的」という言葉を。安心していませんか?「建設的」という言葉を使って。と、昨今のインターネット上の議論を見て思うのでした。今回の内容は「建設的」という言葉の部分的な否定内容ですので、「否定も一つの意見であり認めて対策考えましょうよ」というのが出来る限りの対案。もう少し世間的に「否定的に見えるがポジティブな意見」が認知されればな、と、思う、次第でして、謹言。

担当: カロ藤 (-1)

Comments are closed.