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隠蔽ということ

gyoda

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

時事ネタですが、隠蔽問題。
学校のいじめ問題の隠蔽で、ニュースを見るだけで胸が痛んでいます。
隠蔽、というのを辞書で検索すると出てくるのは

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事の真相などを故意に覆い隠すこと。
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と出ます。「故意に」というのが肝であって、わざとものを隠すと「隠蔽」になるのですね。隠蔽なんてケシカラン!

確かに!

…ですが私たちは「無意識で」「故意に」「隠蔽」している事が多々あるのではないでしょうか。(文章としては矛盾していますが)
例えば「これを言わなければならないけど、こっちに不利になってしまう」「ここで本当の事を言ったら喧嘩っぽくなってしまう」など、日常において「隠蔽」をしてしまうこと、皆さんも心当たりありませんか。私も、沢山心当たりあります。そう思うと、ただ単に「自治体はケシカラン!ぷんぷん!」「隠蔽は悪い!ぷんすか!」で済まさず…

「自分も無意識にそういうことをしていないだろうか」と考える事も重要です。

Eyes, JAPANでは情報のオープンソース化を目標に動いているプロジェクトが多々あります。情報はオープンになる事で、揉まれ、信用性が増します。隠していると、信用というブランドは腐っていきます。 オープンにすることで「意見」というブランドが付随され、磨かれていくのです。 

で、その「ブランド」はどう検証するの?感情じゃん?とエンジニアの皆様は感じると思います。そう思ったときは、今回起きた学校のいじめ隠蔽問題で自分が感じた思いが、答えではないでしょうか。将来的にはそういった情報の信頼性における感情も、自動的に数値化されると面白いかもしれませんね。                                                                                

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